「やがて君になる」(読者に)優しい物語
最近では数ある百合漫画の中でも話題性でいえばナンバーワンであろう「やがて君になる」皆さん読んでいますか?
「百合漫画の枠を超えている」なんて評判も聞きますが、個人的には百合の限界を勝手に決めんなよ!って思います。とはいえこの漫画、とても革新的な百合漫画だと思います。
実際注目されていろいろなところで特集されています。中でも仲谷鳰先生と缶乃先生との対談は必見です。作品について語りながらも普通の百合ファンっぽいトークをしていて百合好きがにじみ出ています。
さて、「やがて君になる」は面白いだけではなくとても読者にとって優しい作品だなあと思っています。
以下ネタバレあります。
それぞれのアンビバレンス
第十話で明かされた、七海先輩の本心 。多くの人に好意を向けられるようになって、「好き」と言われることは束縛されることだと思うようになります。そんな中で人を好きにならない侑と出会い、好きだと伝えます。それこそが束縛することだと知りながら。
一方侑は、「好き」という気持ちを知りたくて先輩を好きになりたいと思っています。しかし先輩が人を「好きにならない」自分を好きだとわかっているから、その本心を隠して先輩のそばにいようとします。
ここに愛と善意(あるいは優しさと言った方が適切かも?)の非対称な構造があります。
「好き」になれない侑が先輩を思って嘘をついています。
本気で「好き」で純粋な愛情表現を繰り返す七海先輩が、「好き」という言葉が暴力的であることを自覚しながら侑に向けています。
この複雑な関係が非常に魅力的です。
人を愛する形
「好き」という言葉が散々出てきますが、そもそも「好き」ってなんやねんという話です。
人を「好き」になる形は例えばリアルでも、性的魅力は感じないけど生活上は気が合うから結婚するような例もあるでしょうし。
それを作中で指摘するのが槙くんです。
「小糸さんもちゃんと七海先輩のこと好きなんだね」
内側にある感情を知らない傍観者である槙くんから見たら、侑の言動は先輩を好きな気持ちがあるように見えているのです。
槙くんが百合男子、みたいに揶揄されたりすることがありますが、ある意味これは正鵠を射ているかもしれません。
というのは、侑から七海先輩へ向く気持ちは恋愛とは異なりますが、それこそ上でリンク貼った対談で言及されているプリキュアとかきららとかで見られるような関係*1に近いのではないかと思います。そういう実情は知らないのですが、結果として槙くんは二人の関係に愛を見出しています。
そんな槙くんの指摘を受けた上で心を乱されはするものの依然恋愛としてではない侑の思いと、七海先輩の本気の(おそらく性と絡んでいる)恋愛とがぶつかるのがこの作品なのですが、どちらの思いも尊いものとして描かれています。
必ずしも二人が恋愛としての「好き」をもってカップルになることだけが正しいあり方ではない 、温かい描き方だと思います。
性指向へのフラットな視点
ぶっちゃけ最近のある程度コアな百合ファンでポリティカル・コレクトネスの視点を全く持っていない人はほとんどいないでしょう。その上で作品を見るときにどういう態度を取るか(正当に意識する、あえて無視するなど)はそれぞれでしょうが、あからさまに同性愛差別的な表現があれば気になってしまうでしょう。
その観点からして、この作品は気にならないどころか感心してしまうくらいフラットな視点を持っています。
侑はアセクシャルなんじゃないかと言われることがありますが、(実際に侑がそうかどうかはともかく)そういった人も受け入れてくれる作品だと思わせてくれます。
以上のように読者に優しい作品ですが、一方で読者を悩ませる作品でもあります。
「こじれるのが楽しみ!」*2という思いと同時に、侑や七海先輩に幸せになってほしいという切なる願いも読者は持つことになります。ああ、この背反!
そうやって悩むのがこの作品の楽しみ方かもしれません。